サーモンは何のために存在するか?

ビル・マクミラン

10年前、フィールドパートナーと私は、シアトルの劣化した都会の川がピュージェット湾に流れ込む場所でサーモンの産卵調査をしていました。都市の雨水に含まれる毒により、産卵前に死んだ数十匹もの死骸がありました。その死骸の1つを切り開いていた時、砂浜を1人の人物が私たちの方へ大股で歩いてきました。片手に杖を持ち、ポニーテールにした髪を湾から吹き寄せる11月下旬の風になびかせていました。彼は私たちから9メートルの場所で突然立ち止まりました。まず右へ、それから左へとかがみ込み、まるでシェイクスピア劇のように杖を大げさに手から手へと持ち替えながらこう言いました。「ふむ、ギンザケか?シロザケか?いいや、ギンザケとシロザケの交配種だな。」

彼は一瞬で死骸の謎を解きました。その魚は両方の種の特徴を備えていたのです。都市環境は、もはや長期的な自然繁殖を維持できません。養殖場が作られた結果、どちらの魚もその川で産卵していました。産卵するギンザケは早い時期に戻って、浅い産卵場所を掘り、その後で戻って来るシロザケは、より深く掘って産卵します。そのため、シロザケはすでにあったギンザケの卵のほとんどを掘り返してしまいます。通常、自然な産卵順序は逆ですが、よくあるように人間の介入が混乱を招くのです。それ以前に私たちは、この川でオスのギンザケとメスのシロザケが放精、放卵しているのを目にしました。そのような産卵から生き残った魚がいるのでしょう。生き残りの魚の中には、ギンザケとシロザケの交配種がいる可能性がありました。

私たちは、9メートル離れた場所から驚くほど洞察力のある判断をしたこの魔法使いを見つめました。彼は、ハイダ族だと名乗りました。ハイダグワイ(クイーン・シャーロット島)やプリンス・オブ・ウェールズ島の先住民です。私たちが、都市のサーモンが抱える問題を話すと、彼はうなずき、それから30分間かけて、経験から得た知識と芸術的なパフォーマンスを披露してくれました。

彼は、シアトルを訪れて公演を行っていたシンガー兼ドラマーでした。かつてハイダ族は、北西沿岸部で非常に恐れられていました。ヨーロッパ人とアメリカ人との接触から発生した病気による大量死が起こる前のことです。ハイダ族は、太平洋沿岸ではバイキングと同じように捉えられています。いつの日か私たちの文化はハイダの教訓を学ばなければならなくなるだろう、と彼は話しました。「勝利による支配を手放し、知恵を学ぶことだ。そうしなければ、この魚を始めとする生物が存在しない世界に直面することになる。」

湾の向こうにあるオリンピック山脈を遠景にして彼は、ドラムの身ぶりや歌のパフォーマンスを見せてくれました。宙にハイダ・ドラムの形の円を描き、一方の手で目に見えないそのドラムを「ドン」と打ちます。ドンと鳴らすたびに、彼はシャチやアサリ、ムール貝、そしてサーモンに関する、部族の起源を物語ります。それらはすべて、ハイダ族の起源となる人びとのことなのです。「ドン。」

私たちは身じろぎひとつせず、風が吹きつける湾の夕焼けが消え、薄闇の寒さが忍び寄る中で、魔法使いに魅了されていました。

私たちの文化にはハイダ文化のような物語はありません。あるのは商業的な捕獲の歴史や缶詰工場の記録を記した業務記録だけ。無差別に殺された数百万にのぼるサーモンの物語だけです。私たちは、利益の創出、生活手段、あるいは娯楽の機会といった人間中心のフィルターを通して自然を見ます。それが私たちの歴史の悲劇です。サーモンや、より広範な自然全体の存在意義に対する大いなる誤解です。サーモンは、持続可能性の知恵を伝えるためにここに存在するのです。しかし、私たちはまだハイダ族のようにそれを理解しようとしていないのです。

ビル・マクミランは生物学者であり活動家で、10年間理事長を務めた〈Wild Fish Conservancy〉の共同設立者でもあります。彼の保護活動は1972年にまでさかのぼり、森林委員会や漁業委員会への就任や、多くの受賞経験があります。カナダ人の作家で環境保護論者のロデリック・ハイ・ブラウンに触発されて息子のジョンと共に著したエッセイと写真の本『May the Rivers Never Sleep』(2012年)の共著者です。